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瓦塀

三原は、太閤秀吉時に五大老の一人となった小早川隆景が築城した経緯があり、まつわるいろいろな歴史的遺産が多いです。

毛利元就の三男として生まれ、竹原小早川に養子にいき、沼田田小早川へ移り・・・・で、小早川として統一。

毛利軍の中心となり智将として、いろんな戦いで活躍しました。

秀吉が織田信長の命により西を攻めてい時の話として、備中高松城の水攻めは有名です。そのすぐ後に信長が明智光秀の謀反に合いました。光秀を討ち取るため、すぐさま和睦を結び、風のような速さで戻り、主の仇を討ったのは有名な、大返し。

その他、隆景の話をしだすと、止まりません。この戦国時代は、いろんな意味でおもしろい時期です。(その時、いたわけではないので、聞いた話ですし、歴史はいろんな肉づけがあるでしょうけど、それを言い出すとはじまりません)

さて、前置きが長くなりましたが・・・

その隆景が晩年住んでいたのが三原城。海の中に浮かぶ城として、浮き城と呼ばれたようです。元々小早川は海の戦いを得てとしており・・・・いや、また長くなるので割愛します。

三原城築城の折に、周りに多くの仏閣が建立されています。中には、沼田小早川時代の門が移築されていたり、お寺が移築されていたりもするようです。

で、そのお寺の一つ 法常寺 の瓦塀の仕事を仰せつかりました。(下請けです)

そこは、なんと、隆景を荼毘にふした場所・・・の一部。となりには、棺桶を乗せたとされる石が残っています。

そこには、小さな社があるだけなので、見逃してしまうかもしれません。

周りの既存の瓦塀は、おそらく土塀ですが、ここは、ブロックで本体を施工します。

地震にも強いようにいろんな工夫を凝らして施工。

今月いっぱいを目標にしています。(が、少し遅れるかもしれません)

家紋とか棟とか・・・いろいろと考えるところはありますが、予定通りの施工をします。

そうそう、ここで荼毘にふされた隆景の遺骨は、三原の西部、沼田東町納所の米山寺のお墓に埋葬されているそうです。

当社から歩いて15分くらいかな。

戦国時代の主役の一人と数えても良いと思うのですが・・・なぜ、大河ドラマにならないのでしょう?(笑

毛利元就はなりましたけどね。
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瓦塀のつづき 完了

暑い日が続いてますが,少し気温が下がると涼しいかな?とも思えるのですが,それでも28度あります。

日陰は良いとしても,日向はさすがに暑いですね。熱中症に気をつけましょう。

充分な水分と休憩が大事です。あっ・・・あと塩分も。(但し,摂り過ぎに注意)


では,瓦塀工事の続きです。  といっても,すでに終わっていますが。

こんな感じです。この度の仕上がりは,シンプルさがご希望でしたのですが,余りにあっさりしすぎるのも・・・ってな感じでしたので,ポイントは押さえています。

DSCN8925.jpg

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瓦塀のつづき

さて,段取りがついたら,ブロック積みですね。

かなり端折っていますが,2段目。この横筋の溝にモルタルが沢山入るので,一人はモルタルを練っぱなし。。。

そうそう,,,縦筋の穴にもしっかり詰めます。

このモルタルと鉄筋がおりなす縦横の井げた状態が,強度に重要です。しかし,150のブロックはよく入ります。w

DSCN7752.jpg

壁になるブロックを積み終わると・・・いよいよ,天場の施工です。

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